2026/05/20
GTIE海外渡航プログラムでトロントに渡航し、精神疾患治療に関する医療機器の社会実装に向けた調査や現地インタビューに取り組んだ、東京大学大学院 工学系研究科 バイオエンジニアリング専攻 博士課程1年の飯野杏菜さん。
参加の背景や現地での活動、そしてプログラムを通じた変化について伺いました。
飯野さんは磁気刺激を用いたうつ病治療機器の研究に取り組んでいます。研究を進める中で、「技術を社会にどう届けるか」という課題意識を持ち、起業という選択肢も視野に入れながら本プログラムに参加しました。
本プログラムではトロントでの現地活動に加え、個別に海外渡航先を設定して研究や調査に取り組む機会もあり、飯野さんはスペインの研究機関を訪問し、安全性評価に関わる数値シミュレーション技術についても学びました。
精神科医へのインタビューを自ら企画・実施したトロントでの活動や、スペインでの研究連携の経験を通じて、日本と海外の医療制度や研究環境の違いを体感したといいます。
今回は、研究と社会実装の間をつなぐ視点をどのように獲得していったのか、そのプロセスについて詳しく伺いました。

このプログラムでは、事前研修、トロントでの現地活動、そして個別に海外の研究機関を訪問するという3つの活動を行いました。
事前研修では、ビジネスの基本的な考え方やバリュープロポジションなどについて学びました。自分の研究の価値を競合と比較しながら整理することや、研究を社会に届けていくためには環境理解が重要であり、そのために現場へのインタビューが必要になるということも教えていただきました。
その学びを受けて、日本にいる段階から現地でインタビューができるようアポイントメントを取り、精神科の先生や、実際に磁気刺激治療を行っている先生方にお話を伺いました。自分の研究している医療機器がどのように使われているのか、現場ではどのようなニーズがあるのかを直接知ることができたのは大きな経験だったと思っています。
また、本プログラムではトロントでの活動に加えて、自身で渡航先を設定して海外の研究機関を訪問する機会もありました。2025年の9月にスペインの研究室を訪問し、磁気刺激治療の安全性評価に関わる数値シミュレーションの技術について学びました。
より人体に近いモデルで評価を行うことで安全性の検証精度を高めることができるため、そのノウハウを現地で学び、帰国後も研究を継続しています。現在は自分たちの研究室の技術と訪問先の研究室の技術を組み合わせながら研究を継続しており、新しい成果について論文化に向けた検討も進めています。
研究だけでなく、社会実装に向けた視点と研究そのものの発展の両方を得られたことが、このプログラムの大きな特徴だったと感じています。
私はもともと医療機器の研究をしていて、修士1年生の頃から3年間ほど力を入れて取り組んできました。医療機器は最終的に患者さんの役に立つものだと思っているので、自分が取り組んでいる研究を本当に患者さんに届けたいという思いが強くなっていきました。
そう考えたときに、起業というのはそのための一つの手段としてあるのではないかと思うようになったのがきっかけです。
また、私はバックグラウンドが工学部ということもあり、これまで患者さんのことを直接知る機会がほとんどありませんでした。起業についても分からないことが多い中で、博士課程の学生でも参加できるプログラムがあると知り、参加してみたいと思いました。
学部時代は物理を学んでいたのですが、物理の研究は社会に役立つまでに200年、300年かかることもある分野だと感じていました。そのため、自分が生きている間に社会実装まで関われる研究に取り組みたいと考えていました。
ちょうどその頃、身近な人がうつ病になった経験もあり、物理の知識を生かしてうつ病の治療につながる研究ができると知ったときに、この分野に取り組みたいと考えるようになったんです。
現在取り組んでいるのは、薬が効かないうつ病の患者さんに対して磁気刺激によって治療を行う医療機器の研究です。この治療法自体はすでに承認されているものですが、その治療効果を高めたり、患者さんにとって使いやすくしたりすることを目指して研究を進めています。
まず、トロントでの活動では、精神科の先生や、実際に磁気刺激治療の医療機器を使っている先生にインタビューを行いました。事前研修の中で、競合や環境を理解するためには現場の声を聞くことが重要だと教えていただいたことがきっかけです。
実際に話を聞いてみると、日本でこれまで持っていた印象と比べて、カナダでは磁気刺激治療への需要があることを実感できたのが大きかったです。
また、日本とカナダでは制度や治療環境が大きく違うという点も印象に残っています。日本では施設基準の関係で病院でしか治療ができませんが、カナダではクリニックでも治療が可能で、患者さんが仕事や学校に通いながら治療を受けているという話を伺いました。実際に予約枠も埋まっていると聞き、治療へのアクセスのしやすさの違いを強く感じました。
さらに、うつ病は家から出られない方も多い疾患でもあるため、今後は在宅で治療できないか、あるいは訪問看護の中で実施できないかといった可能性についても考えるようになりました。
こうした現場の声を直接聞くことができたことで、自分の研究がどのような形で社会に届く可能性があるのかをより具体的に考えられるようになったと感じています。
特に大きかったのは、自分の研究の捉え方が変わったことだと思います。
それまでは研究に注力していたこともあり、「この技術をどう届けるか」「どう理解してもらうか」といった、自分の研究を中心に考える視点が強かったと感じています。
ただ事前研修の中で、トロントメトロポリタン大学の先生から週に1回授業を受ける機会があり、その中で「相手の環境を見て、競合を見て、その中で自分の価値をどう考えるかが重要だ」という話を伺いました。それまで自分はその視点を十分に持てていなかったことに気づいたのが大きな変化だったと思います。
また、「まだ分かっていないことが多い」ということに気づけたこと自体も、自分にとっては大きな学びでした。
その気づきは、その後の行動にもつながりました。
例えば、日本国内のクリニックにもインタビューに行こうと思うようになり、自分で7〜8件ほどアポイントメントを取って実際に話を聞きに行っています。現場を知ることの重要性を実感できたことが、そのまま次の行動につながったと思っています。
さらに、このプログラムをきっかけに東京大学の産学連携の先生と出会い、研究者向けの教育プログラムにも参加することになりました。現在は月に1回ほどメンタリングを受けながら事業化について学んでいます。
加えて、医療機器スタートアップを支援するアクセラレータープログラムにも応募し採択していただき、保険制度や薬機制度について学ぶ機会にも恵まれました。
研究と事業化を両立させながら進めていく必要があることを改めて実感しています。
こうした経験を通じて、研究そのものだけでなく、その研究をどのように社会に届けていくかという視点で考える機会が大きく広がったと感じています。

将来的には起業し、自分が研究している医療機器を患者さんに届けたいという思いがあります。
現在は、既存技術の改良に独自の特許技術を組み合わせることで、より高精度な治療の実現を目指して研究を進めています。
一方で、医療機器の事業化は10年単位で進むことも珍しくない分野でもあり、研究の進展だけでなく、制度面やチーム体制、連携先との関係づくりなど、さまざまな要素を踏まえながら進めていく必要があると感じています。
また、博士課程の途中という段階でもあるため、まずは研究を着実に進めることを軸にしながら、事業化の可能性についても並行して検討しているところです。
さらに、この取り組みは自分一人で完結できるものではないという実感も強くなってきており、産学連携の先生方やメンターの方々の助言をいただきながら、どのような進め方が現実的なのかを考え続けています。
その中で、起業という選択肢に加えて、企業との共同研究やライセンシングといった形も含め、自分の研究をどのように社会実装につなげていくのがよいのかを模索しています。
最終的には、研究の成果を患者さんに届けることを軸に据えながら、その実現に向けて最適な形を選び取っていきたいと考えています。
取材・執筆:Undercurrent Inc.